昭和33年
久留米ラーメン金広軒として創業。
その50年以上の歴史は、初代が久留米のラーメンを習ったところから始まった。
孫が久留米に戻ってきて店を出したと聞きつけた初代を知る人たちが、家族で来店するほどの人物だった初代。
その味は佐賀で育ち、ラーメン・チャンポンの有名店になり、今は亡き2代目の夢だった地元の久留米に戻ってきた「明日香」
「明日香」の小森野店店長の高田さんに聞きました

そもそもラーメンを何処から習ったのか分からないんですか?
「分からないんですよ(笑)」
「もう初代のおじいちゃんは、いわゆる自由人で、その自由人だったおじいちゃんが突然『ラーメン屋やるっ』って(笑)」
「最初は久留米の細工町(現中央町)に卸し団地ていうのがあってそこに久留米ラーメン金広軒を開店したらしいですけど。
他にも豆津橋あたりで、初代のお母さんがラーメン専門の屋台を開いてたらしいんですよ。」
ええ!じゃあ、もしかすると来福軒さんのすぐ近くでやっていたのかもしれないですね。
初代は自由人てどんな人だったんですか?
「温泉街で育ったので、公衆浴場とかによく行ったんですけど、そこでおじいちゃんたちにあんたのおじいちゃんは外交上手で、ほんとに良か人やったもんねえって、よく言われたんですけど、ウチに帰ると身内はみんなボロカスに言っているっていう(笑)」

寅さんみたいな?(笑)
「そうです、家に金は入れんは#〇※$!%&・・・・(笑)
でもおじいちゃんの話をしているときは家族はみんな『ろくな親父じゃなかった』とか言いながらニコニコしながらしゃべってるっていう、今考えれば愛されているおじいちゃんですよね。ただ子供のころはここまでボロカスに言われるおじいちゃんてどんな人なんだって(笑)」
「実際に店が開店してからも美味しい店があると聞くと、そこに行って研究して『こう作ってみよう、ああ作ってみよう』ってやって、できたら後はおばあちゃんがやってるみたいな。」
自由なおじいちゃんですねえ(笑)(なんか自分を見るようだなあ)
「久留米の老舗系のラーメン屋さんに入っている【カリカリ】ってウチのラーメンには物心付いたころには入ってたんですけど、ウチでは【ガリガリ】って言っていたんですよね。
久留米で【カリカリ】って見て、『えっ?カリカリって言うんだ』って初めて知ったんですよ(笑)」
「だから久留米にお店を出すと決めたときに絶対に久留米の店では【ガリガリ】入りを定番にしようって僕が決めたんですよね。」
ずっとやりたかったラーメン屋さん
ラーメン屋さんやるのイヤじゃなかったですか?
「いや、ラーメン屋さんやりたかったですねえ。物心付くころからラーメンに触れ合ってたというか、生まれて半年からラーメンを食べてたらしいですし。好きで好きで本当に毎日ラーメン食べてましたから。ラーメン食べるのが趣味みたいな感じですから(笑)」
2代目の人の中にはイヤだったって言う人、多いですけどねえ。
「いやあ、就職したとしても、定年したら必ずラーメン屋さんをしたいっていう。お金貯めて店するぞって。
ただ実は13歳からお客さんに出すラーメンをずっと作っていたんですけどね。自分が食べる分を子どものころからずっと作っていて、それを見ていた親父からある日、『今日からおまえ、お客さんに出す分を作っていいぞ』って言われて。」
「ただ、その頃は『ラーメン居酒屋』タイプの店だったので、ラーメンの注文が締めの時間に集中するんで、ドラマの最終回とかの一番良い場面で、ラーメンを作りに厨房に呼ばれるってことがよくありましたけどね(笑)」

初代がラーメン屋さんを始めて、2代目が日本食を学んで、「ラーメン居酒屋」を営業。
その後、麺類に特化した店として、佐賀に「明日香」をオープンし大繁盛。
一度はサラリーマンになっていた高田さんが呼び戻されることになった。
夢がかなったんですね。
「そうですね、自分でお金を貯めてラーメン屋さんをやろうと思っていたので、考えていたより早くラーメン屋さんの夢が叶いましたね。」
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